3・チャラ男、社会人となる

私は1942年(昭和17年)生を享けた戦中派。同じ時代を歩んだ80才以上が人口の10%を超えたとの報道。

復興の時代から成長期、バブルまた崩壊、失われた20年(30年?)昭和・平成・令和と時代も大きく変化した。

成長期、地方から上京した中学卒生は「金の卵」と呼ばれ企業から大歓迎された。反面「大学はでたけれど」と言われ

高学歴ほど就職難の時代でもあった。私は大学の選択肢もあったが、父から「手に職をつけろ」の一言で地元埼玉県立

川口工業高校に入学した。評判とおり大手企業から多数求人があり、クラスの5割は上場企業に就職。ことし7月に

クラスの友4名と60年ぶりに再会。私は明電舎、日産、山之内製薬、信越化学と3名も上場企業に就職していた。

私以外は定年まで勤務。私の就職した明電舎が沼津に工場を建設中、完成したら配属候補との情報を得る。

当時は新幹線も未開通。島流しになったかの感。東京のネオンの灯る繁華街、それより高校生の時から付き合ってきた

彼女との距離が遠くなるのが辛く、明電舎をあっさり退職。周りから「お前はアホか」と手厳しく言われた。

チャラ男?人生のスタート。